カンボジアでパソコンを教えるの巻 vulture0902@yahoo.co.jp


by vulture0902

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【クリスマス】

外ではダンスミュージックが鳴り響いている。上座仏教が人口の約80以上を占めるカンボジアでも、クリスマス気分は少しあるらしい。生徒の何人かは「メリークリスマ」と言ってくれた。「ス」の発音が聞き取れなくて、「メリークリスマ」と言われて、ギャグだと二時間ぐらい勘違いしていた。一泊10$のこの町一番の高級ホテルのレストランにだけクリスマスツリーがすまなさそうに、おかれている。

無料のパソコン教室が、どうやら起動にのりそうだ。私の職場にある有料パソコン教室のパソコンが5台が使えるようになり、少しは無料でパソコンを習える人が増えそうだ。さらにパソコンの台数を増やして、クメール語で文章ぐらい書けるようになる人を増やしてあげたい。国境沿いの町でも週末授業が開設でき、休日の休みもないがうれしい悲鳴だからしかたがない。本質的な解決ではないけど、そもそも本質的解決なんて泥臭い外側で行われているんだろうから、よしよしとしよう。

最近、カンボジア人に言われた。「あなた、カンボジア人のように黒いですね。始めは白かったのに。。」これは、喜んでいい事だろうか。
知らない間に現地になれ、知らない間に肌が変わり、知らない間に本気で怒り、知らない間に友達ができた。知らない間にカンボジア語がしゃべれるようになることは、無理そうだけど。
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by vulture0902 | 2009-12-27 17:25 | 独話
カンボジア人同士のデートになぜか私が、一緒に行くとこになった。近くのお祭りに連れて行ってもらった。一生懸命に生きていれば神様も見ていてくださる。

メンバーはかわいい女性2名、かっこいい男性2名、かわいい女性の15歳ぐらいの弟1名、変な日本人1名の編成だ。何か変だ。構成が変だ。美男美女がペアだから、僕のペアを考えていくと当然、弟になる。弟は僕の隣で、にこにこしている。僕の神様は今日、お休みらしい。

役割を果たすべく、かわいい女性の弟と片言のクメール語で、盛り上がる。しかしだ、かっこいい男2名は、話さない。恥ずかしいらしく、ニヒルに構えている。日本には合コンというものがあって、男はいつもためているネタを今こそ話すべき時だ!と言いたかったが、そんな語学力はない。「音楽は好きですか?」「踊りは踊れますか?」と、音楽の話題を振ってあげた。まぁ、イントネーション(発音)が悪いので、それを笑われたに過ぎず、スマートに話題を振れたわけではないけど、そのあと二人ともペアになって、話せれたから結果オーライだろう。

デートは無事終り弟とは、いい友達になれた。よく家に遊びに来るようになった。多分彼も、デート中、役割を果たそうと必死だったのだと、今になって感じる。気を使って僕を誘い、蒸しトウモロコシをわざと買いに行き時間をかせぐ、にくい技を使ったことが忘れられない。

どこの国のデートでも、女性を待つ男性はそわそわし、女性は必死になって男性との話題を探そうとする。美男美女だって大変なんだ。連日僕の神様は連休中だが、あの蒸しトウモロコシの味は美男美女には分からないだろうから、それはそれで好しとしよう。




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by vulture0902 | 2009-12-16 00:16 | 色話

【くれくれ】

「くれくれ」とよく言われる。パソコンをくれ。デジカメくれ。CDをくれ。服をくれ。時計をくれ。本をくれ。はじめは、「まぁ日本人だからお金を持っている。」と思っているんだろうと考えていた。でも、鉛筆をくれ、サンダルをくれ、ノートをくれ、ジュースをくれ。と言う。彼らでも十分に買えるものでも、くれくれと言う。ほほう。これは、どうも文化らしい、と気がつく。

カンボジアに関しての本にこんな一節があった。「カンボジアの徳とは、施しと慈悲である。」施しとは、物をあげると言う意味があると思うし、"慈悲"を辞書で引くと、楽を与える、苦を取り除くとある。断言はできないが、物をあげ、楽を与え、苦を取り除くことが、カンボジアでの善なる人となるのだろうか。

お金のある人にとっては、善なる人になることは容易い。一方、お金の無い人にとっては、何か徳を積ましてあげている感覚をどこかに感じる。格差の大きな社会では、「外国人」が感じられない、いびつな感情が混ざり合っている。汚職や賄賂、テレビに映るスタイリッシュな生活も影響を与えているのかもしれない。

お金の無い人にとって、「くれくれ」とはせめても権利なのだ。

そう思えば少しは寛大な心もでてきそうだ。"品がないなぁ"と考えてしまうことも少ないだろう。だから、「くれくれ」と言われたら、丁寧に「嫌、嫌」と答えようと思う。物乞いや援助なれした人を増やしてはいけない。無慈悲な「外国人」のそれも権利だから。
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by vulture0902 | 2009-12-12 16:23 | 独話

夕暮れ時、水たまりはピンク色をしていた。水牛を操る農夫の真っ黒いシルエットが、細長く水たまりに移る。もしも絵を描くとしたら、ピンクと黒とオレンジで簡単に描けるからクレヨンも節約できそうだ。風が吹いているのを久しぶりに感じて、さすがにこの国でも涼しさを感じる。異国にいるんだなぁと、思う。

「How are you?」は日本語でなんですか、と毎日聞かれる。毎日聞かれると飽きる。だから、「元気ですか?」の言葉を教える時は、顎をしゃくり変におおきな声で「元気ですか?」と言い、真面目な顔で澄ましている。

みんなが、アントニオ猪木風に「元気ですか。」と言う。いけない日本語の先生だ。
でももしカンボジアに来て、アントニオ猪木風なしゃべり方をしていたら、親しみがあるし、思わず何か話そうと思う。例えば、それが、売店の兄ちゃんだったら、水やコーラぐらい買ってしまうかもしれない。例えばウエイトレスだったら、面白い人だったと印象に残り、リピータになるかもしれない。

そう自分を正当化して、明日もアントニオ猪木を増やしていこうと思う。
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by vulture0902 | 2009-12-09 00:42 | 寸話

【パニャという少年】

中産階級がなかなか育たないカンボジアでは、一部の官僚と圧倒的な低所得者で構成されている。GDPは年々増加傾向にあるため、色々な懸念はあるのものの、順調に行けば中産階級の増加と共に、民主化の流れは着実に浸透するとの見通しが一般的な見方のようだ。国際的な援助が減少した後、自国を思うカンボジア人の増加を期待して、ディティールな異なるものの、戦後の日本が経たプロセスをカンボジアもなぞるのだろう。

カンボジアでは、よくぼられる。外国人と現地の人との値段が違う。一回の食事が日本円で、100円だろうが、50円だろうが、外国人にとっては、どちらも安い。そのため、現地の人が50円で食べている同じ食事を100円払わされる場面も少なくない。今の町に住み始めた頃、私も相場が分からずよくぼられた。

パニャという少年がいる。彼はウエイターだ。農家出身で、何とか高校を出た。彼のレストランによく食事しに行っていたのだが、ある瞬間、私がぼられているとこに気がつく圧倒的な場面があった。彼が、50円、自分の財布から出していたのだ。彼が値段を決めるわけではない、支配人が決めるのだが、彼は不満そうな表情をした後、私には、50円でいいよと言い、支配人にお金を渡すまでの間に自分のお金をこっそりまぜるのを、見てしまった。彼は決して、お金持ちじゃない。

男だなぁ、と思った。何回か通ううちに値段は本当に50円にしてもらえたのだが、本当にうれしかった。

最近、お金という指標を捨てつつある。発展途上国の低所得な農家だとか、恵まれた環境の役人の子供とか、だからと言って、私達が思い浮かべる想像とは違う時がある。ステレオタイプよ、さようなら、だ。お金で、物事を測れるわけはない。そしてパニャは、色白の女性をみると「アノ女ノ人、キレイネェ。」と叫ぶから、純粋な奴だなぁと言うステレオタイプも、すぐにどこかに、いってしまった。
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by vulture0902 | 2009-12-03 14:22 | 独話

【笹の葉ブレスレット】

12月になろうとしているのに、この町では自転車に乗っていても、熱い。日本とカンボジアの太陽は違う人のようだ。最近、実は3人ぐらいの太陽がいて、交代に地球を照らしているじゃないかと、こっそり考えている。そうでなければ、この日光の強さは納得できない。

休みだったから、生徒の農家の家に「行きたい、行きたい。」と駄々をこねたら連れていってくれた。ご飯は食べてから行きます、と再三伝えたのに、ご飯を食べろと言われた。まったく、いつも同じことを言う、食え、もしくは飲めだ。牛が5頭、水牛が3頭がいて、ニワトリやアヒル、犬に猫や魚も飼っている。カンボジアの普通の農家だ。

ご飯を食べたあと、田んぼまで散歩する。僕の生徒で彼の息子に笹舟の作り方を教えてあげたら、「笹の葉ブレスレット」の作ってくれた。うれしい、という言葉より、あったかい気持ちになったが適当かなぁ。カンボジアに来れて良かったと思える一瞬だ。あたりは一面の田園、僕に「笹の葉ブレスレット」を渡した後、息子はススキみたいな雑草を振り回して遊んでいる。他意はぜぇんぜぇん無い。

彼の息子は頭がいい。だから、プノンペンに出稼ぎに行けるようになるだろう。そして、彼の父に仕送りできるようになるだろう。TVが買えるようになり、バイクが買えて、やがて耕運機を買えるようになるだろう。生活も少しは快適になるだろう。15年先、20年先を想像すると現実的なビジョンだと思う。彼は、プノンペンでやっていけるだろうか。あんな町で、現金主義的な人達に対応できるだろうか。貧しい農家に対する冷ややかな目にさらされないだろうか。

15年後、彼の息子が結婚したとして、子供が産まれたら、その子供は相変わらず、ススキみたいな雑草を振り回して遊んでいるだろうか。笹の葉ブレスレットは作るだろうか。疑問符ばかりだが、これはセンチメンタルすぎるだろうか。経済成長とは、何であるだろうか。光の指す方へとは、どちらの方向のことだろうか。
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by vulture0902 | 2009-12-01 01:06 | 独話