カンボジアでパソコンを教えるの巻 vulture0902@yahoo.co.jp


by vulture0902

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【韓国人ボランティア】

「兄さん」と韓国人ボランティアに呼ばれている。韓国では親しい人を兄さんと呼ぶらしい。親しみを込めて呼んでくれているのが、いつも伝わってくる。ただ真剣な顔で「兄さん」と言われると、やくざになったみたいで、「なんだい、兄弟ぶん。」と答えたいのを、がまんするのに苦労する。

彼の名前は、イーチホ。韓国では懲役制があるため、国際協力で懲役免除のためにカンボジアに来ているとのことだ。彼の夢は、国連職員になることで、英語、日本語、カンボジア語がそれぞれすごい。顔もスタイルも性格も良く、今、僕は欠点さがしてやろうと必死になっているが、なかなか隙を見せない。彼もこの町でパソコン教育のボランティアをしている。

今日、彼はこんな事を言っていた。「兄さん、僕は電気代を援助したくありません。カンボジア人は、パソコンはあるのに電気代まで援助に頼ろうとしています。電気代がかかるるから、授業ができないと彼らは言うんです。パソコンはあるのに。」

彼の職場と私の配属先は違うが、私も同じことを言われたことがある。確かに電気代を援助すれば、授業回数が増える。でも授業を増やしたいのは、私達ではなく、各学校のはずだ。お金は工夫すれば十分生み出せる、と思う。その努力をなぜしないのか、いつもイライラする。パソコンを習いたい人はいっぱいいるのに、もどかしい。

これは、とても難しい問題だけど、彼らのベストや可能性が最大限に生かすことが、ベストなのだと、日韓の歩調はそろったところで、それぞれの学校に戻った。
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by vulture0902 | 2009-11-27 23:30 | 独話

【お坊さんの戒律】

綺麗に頭と眉毛を剃り、袈沙を着ているいるのに、なぜかぞうりや下駄をはかずにサンダルを履いているのが、カンボジア流のお坊さんだ。彼らは、朝早く起きてからお経を読み、寺の掃除をして、簡単な朝食を済ませると、托鉢に出かける。家々を巡回して、食べ物やお金をもらう。カンボジア人はこれを徳と考えているらしく、多くの家々が寄付をしている。お寺に戻ってから昼ごはんを済ませると、午後からは、食べ物を口にできない。基本的には水分しかだめだと、お坊さんが言っていた。お酒も禁止で、特に女性に触れることは、修行の妨げとなるとのことだった。

僕のパソコンの生徒にお坊さんが何人かいて、その一人が面白い。ある日、「パソコンが壊れた」「治して」と言う。原因はウイルス感染だ。システムファイルまで噛んでいたので、全部プリインストールしてください、と教えた。たくさんのパソコンの生徒が見守る中、彼のパソコンの修理は行われた。その最中、彼のパソコンからアダルト画像がたくさん見つかってしまった。一瞬で、笑い声が教室中に響く。お坊さん、言い訳するでもなく苦笑い。アダルト画像とお坊さん、なんだかコメディみたいだ。

まだある。最近、彼は英語を習い始めたらしく、やたら英語を使おうとする。でも、習い始めだから、「イェィ。イェィ。イェィ。」しか言えない。綺麗に頭と眉毛を剃った顔で、イェィ、イェィ、と言われると、何を言っても笑わずにはいられない。「How are you?」「イェィ。イェィ。イェィ。」「Do you study English everyday?」「イェィ。イェィ。イェィ。」「How was your shcool?」「オ~? イェィ。イェィ。イェィ。」

でも、このお坊さんが大好きだ。カンボジア人も好きらしい。彼の周りには、笑いが絶えない。道化になって隣人を救う。ある意味、悟られてらっしゃる。とすると、アダルト画像はネタだったのかと、考えずにはいられない。




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by vulture0902 | 2009-11-25 14:08 | 独話

【Route1】

今カンボジアで問題になっているRoute1(国道一号線)★を走ると、車窓に映る景色はタイムスリップしているように感じる時がある。白いエヤーブラシでうすく描かれた雲の下には、一面に広がる田園地域と、まばらに木で作った小屋が点在している。白いシャツに黒いズボンの制服で大勢の生徒達が自転車に乗って登校しているかと思うと、道路に牛が渡り、僕達の車の行く手を阻む。角(つの)が生えたような寺院からは、オレンジ色の袈沙を来た僧侶達が午前中の巡回をしている姿が見える。

反面、車が首都のプノンペンに近づく頃には、車とバイクの数が増え、綺麗なショウケースのお店が軒を連ねる。市街に入れば、コンビニにファーストフード、中華にフレンチ、トヨタのプラダにベンツ、BMW、それに普通乗用車。ここまで来ると、何が何だかよく分からなくなってくる。タイムスリップしてきた僕達の車からは、時折見える綺麗なネオンの隙間に立つストリートチルドレンとスラム的な家たちが真実で、綺麗な町のほうが虚像ではないかと思えてしまう。でも僕は、中華を食い、「たまには、息抜きも必要だよ」と考えているのだから、やっぱり異質でどこまでも「外国人」だった。

もう田舎町に戻ったから、本当のカンボジア人にパソコンを教えさせてもらうことを頑張らなければ、と思う。


★Route1(国道一号線)
日本のODAによりカンボジアのインフラ整備の一環として、道を整備している。様々な問題が発生している。そもそも援助やODAとは何かを問う重要な問題がその地域にはあるように思う。
http://mekongwatch.org/env/cambodia/hw1-oda/index.html
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by vulture0902 | 2009-11-24 11:40 | 独話

【地の民】

何日か前、カンボジアの米を作っている人が家に連れていってくれた。その家は、町からバイクに乗って20分ぐらい。肌色の小道をくねくねと走っていく。道中、一面田んぼが広がり、水牛や牛が何匹も田んぼの近くにいる。家に着くと、ニワトリが庭を歩きまわり、アヒルが小屋の中にいる、犬が3匹いて、でも一匹はビッコを引いていた。猫もいた。動物を挙げだすと切りがないのでやめる。一般的なカンボジアの農家だと思う。高床式住居で雨季でも危機管理ばっちりな家だ。

パソコンの生徒で彼の息子が、サトウキビを’なた’で切り、一本くれた。普通の竹みたいだ。息子は簡単に歯で皮を剥ぎ、おいしそうに果汁をかじっている。僕も皮を剥ごうするが、うまくいかず親子そろって笑っている。日本の年配の方には笑われそうだが、生のサトウキビを食べるのはとても難しい。

その後、酒をくれた。カンボジアの家にはだいたいある自家制のお酒だ。それぞれの家で独自の製造方法があるみたいだが、これがけっこう強い。ただうまい。これだけで、いい。もういい。蜂みたいなものが酒の瓶に中に入っているけど、見なかったことにするから、いい。

この酒を振舞われることは多い。パソコンの生徒の親からが圧倒的に多い。パソコンの教育(月に5$程度)ができる余裕のある家庭はカンボジアでは裕福だ。ボランティアの僕の個人授業は基本的には無料だから、パソコンに興味がある子供にはいいと思う。彼が家に招いてくれたくれた気持ちはそれだけで伝わってくる。

「お金は無いけど酒でも飲んでいきなぁよ。」

だけど、私は思う。雑木林から30秒フラットで、リンゴみたいな果実をとってきて、当然のように差出し、口笛を吹くだけで、自在に動物を操るあなた達は、パソコンのスキル以上のスキルをもうすでに持っていると。[地の民]。カンボジアに関してのどこかの本に、こんな表現があったことを思いだした。
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by vulture0902 | 2009-11-20 11:09 | 独話
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道端では、はだしでTシャツを真っ黒にしながら少年達が、ビー玉であそんでいた。金持ちの門番はピストルを持ちながら、あくびし、道路には何台ものバイクがゴーゴー音を立てて走っている。商店街はすこしだけ黒ずんでみえた。トラックから積荷を下す人は、上半身はだかで、黒い肌が汗で光っている。カンボジアの太陽は日本のものとは別人らしく、建物の影をくっきりと写している。日陰から見ている分には、まだ涼しい。さとうきびジュースを飲みながら、午後の授業を待っていた。

私の町の日本語を習うカンボジアの学生の作文はこんな感じだ。「わたしは、ふつうなせいかつ したいです。にほんはモダンです。にほんごがはなせるようになったら、にほんいきたい。でも、ひこうきだい、ないです。」場所によっては、NHKがカンボジアでも見れるし、ドラマは翻訳されて放映される場合がある。先進国の生活の概要は誰もが知っていると思う。全自動洗濯機(ドラム式)、フラットテレビ、マイナスイオン効果機能付き空気清浄機、システムキッチンに豊富な食材。カンボジア人の目には、どう映るのかは興味がわいてくる。

日本のドキュメンタリーではやらないことは、彼らは十分怠けている。表現が難しいが、お金がなくても楽しく生活しているように見える、と言う意味だ。授業には遅れてくるし、宿題の文化はあまりない。本は読まない。勉強とは受動的なものだと、大半の人が思っている。学年のトップを狙う優等生ではなく、「そこそこでいいんですよ」とあまり勉強をやらない生徒的な感覚がこの国の経済力を象徴している。もちろん歴史的悲惨な背景はある。しかしそれを知っても尚、甘さを感じる場面が多い。

さて、学生達に、日本で生活されている方々がどれほど必死に働いて先進的な生活をしているか、私のカンボジア語の語学力では、とても伝えられないことが、現在の最大の悩みだ。
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by vulture0902 | 2009-11-13 00:02 | 独話

【わいろ】

 自転車に乗りカンボジアの大地を、近くまでツーリングしてみた。かわいい子供達は、外国人の私を見ては「ハロー、ハロー」と呼びとめる。市場に行けば、高値で商品を売ってやろうと密かに考えている商人が、私を見て目をぎょろぎょろさせている。田んぼのことろまで走ると、牛や水牛が田園風景にアクセントを加えるみたいに立っている。地平線まで田んぼは続き、夕時には絵葉書みたいな風景に変わる。

 家の近くに8歳ぐらいのかわいらしい女の子がいる。その子は毎朝通学する時に500リエル(1.25円)を握りしめている。その家の人から今日、理由を教えてもらえた。先生に賄賂としてあげるそうだ。この町の小学校の一部では、賄賂が通用する。逆に賄賂をあげないと進学させないこともあるそうだ。カンボジアは一年毎に、進学できるかのテストがあるので、先生の権利はとても大きい。賄賂というよりは、通学料に近いのだろうか。田舎町の小学校では賄賂があるそうだが、農村部の小学校では比較的少ないということだった。それほど貧しいとのことだ。これは、あくまで私の目線でみた感覚だ。カンボジアの先生には、先生なりの意見があるのだと思う

 もしもカンボジアに旅行に来ていたら、もしも私が旅行者であったなら、アンコールワットを見て、絵葉書みたいな田園風景を眺め、素朴で純粋なクメールの人達と片言の英会話を楽しんで帰れたのかもしれない。旅行者のフィルターは段々薄れ、カンボジアという国が身近になってくる。いいことなのだろうと考えて、自転車を引き返し家まで帰った。



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by vulture0902 | 2009-11-10 00:51 | 独話

【21人乗りのワゴン】


日本のワゴン車は大体8人乗りだろうか。
ハイエースは、運転席、助手席、二列目に3人、三列目に3人だと思う。
首都からの帰りの車は、ワゴンに21人乗っていた。21人だ。

安い運賃の車に乗るとこうなる場合がある。僕のケツは、シートに1/3しか収まっていない。
顔は窓にヘバリ付いている。車のサスペンションが良いわけでない。

一番悲惨なのことは、僕のケツは、シートに1/3しか収まっていない。道は悪路だ。
車は、水たまりの後を通る度、僕のケツは「おぉ。おぉ。おぉ。」となる。

さらに隣の乗客はガラが悪く、シートの1/3の僕の陣地を、ぐいぐい押してくる。
僕のケツは、1/3と1/4のボーダーラインを行ったり来たりする。

1/4の「おおぉ。おおぉ。おおぉ。」は避けなければならない。
とても、3時間耐えられる痛さではない。
せめて、1/3の「おぉ。おぉ。おぉ。」だ。
言うまでもないが、1/2は、致命傷だ。一発で、戦死してしまう。
「あぁ~~~。」だ。
押しすぎても、引きすぎても危ない。

ケツを守る戦いは、3時間続いた。

そして、生還した。


なんと言う、達成感。充実感。
大和魂ってものを、見せてあげました。
ふっふっふ。
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by vulture0902 | 2009-11-07 13:36 | 談話

【南北問題】

 カンボジアは、大小様々な蟻が地面を支配している。
サンダルで少し歩こうものなら、すぐに足に蟻が偵察にやってくる。
赤い大きな蟻。黒いずる賢い蟻。規則正しい生真面目な蟻。様々だ。
多国籍な蟻の群れは、自由で楽しい。でもパン切れを地面に落してみると、戦争が始まる。
何かを暗示しているのかと考えてしまう。

「お金を、貸してくれ」と言われた。少なくない金額だ。
最近暗い場面にばかり会う。もう一人の自分がつぶやくが、これが両端なのだ。
自分は南北問題の中にいる。G8の世界の富の半分を握りしめるその両端を見ている。
逃げては行けない。カンボジアを知り、噛み砕き、行動しなくてはならない。影響力はほとんどなくてもだ。

聞けば、その家族の建物がつぶれそうだ。カンボジアの建物は日本の建築基準とは比べ物にならないぐらいもろい。壁が歪んでいていまにも崩れそうな建物の中で暮らしている。商売もその建物でしているため、家を治さなければ収入がなくなる。子供の教育費も出せないと言うことだった。その子供は実の子ではない。でも家族同様に育てている。そんな家庭がカンボジアには少なくない。その子供は屈託なくかわいい。

その12歳の子供とは、電話で話したりよく散歩に行く中だ。今日までそんな現状を知らない馬鹿な私は、その子供に会うたび電話で話すたびに、片言のカンボジア語で繰り返す

「毎日、英語を勉強しなくちゃ。カンボジア語も勉強しなくちゃ。そしたら、パソコンを教えてあげる。」

「じゃあ、僕はカンボジア語を教えてあげるよ。」と、かわいく彼はきり返す。


カンボジア教育の現状には、このような現実が広がる。とにかく、お金がない。彼は商人の子だからまだ、お金があるほうなのだ。農民はもっとひどい。お金は貸した。言い値ではなく、現実的な額を貸した。間違いだと分かりながら。貧困層にとって、教育費は死活問題であることを身近な問題として感じた。そんな思いで学校に、みんな通っているんだ。それなのに、学校の先生の質は高くない。その後、12歳の子供は何もなかったように、カンボジア語の教科書を読んでくれた。将来は日本に行きたいと言う。
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by vulture0902 | 2009-11-07 13:34 | 独話