カンボジアでパソコンを教えるの巻 vulture0902@yahoo.co.jp


by vulture0902

カテゴリ:独話( 30 )

【終わりの続き】

二年間とは、本当に短いもので、あっという間に過ぎました。

もともとこのブログは、日本の知人に、私がカンボジアで生きていることを知らせるために書き始めたもので、もう生きて帰れると確信いますから、今日このブログを終了します。

また、次のステップとして、このブログを開設しました。

興味のある方は読んでみてください。

今までとは、違う視点でブログと付き合っていきたいと思っていますし、更新スピードを信じられないぐらい頑張りたいと、今は思っています。新しいプラットホーム的な場所も作りました。


今まで、ご清聴?え?違う、なんて言うの、こういう時?


ありがとうございました。。。そして、日本で会いましょう!!
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by vulture0902 | 2011-05-01 17:39 | 独話
夕方、走ったらすぐ息が切れてしまった。昨日カンボジア人とサッカーをして体力の無さに情けなくなって、奮発して280円で短パンを買ってランニングを初めたのに、これではとても続きそうもない。。

今日、カンボジアの校長先生と話していたら、こんなことを言っていた。
「カンボジアは小さな国で、とても弱い。タイとの問題だって、政治力がなんだよ。ずっと昔は、全部カンボジアの領土だったんだ。」

自分の国をどう思うか。
なんかあたり前のこと過ぎて、自分には感慨もなかった。
日本が今、当然のように世界の中で経済大国の地位を確率できている、すばらしさ。民主的に資本主義を謳歌できる体制。あんな地震に対して、海外の投資家は日本経済復興を当然のように疑わない強さ。反論もあるだろうが、日本はいい国だ。

夕方、水牛を飼いならす10才ぐらいの少年を見ていたら、涙が出そうになった。日本の今の強さの背景にある明治維新で死んでいったたくさんの志士達。彼ら志士達は、異国に負けないよう旧徳川体制を潰そうと、「攘夷!攘夷!」と言って戦った。死んでいくと知りながら。何がそうさせたのだろう。志士達は今、この世界をどう感ずるのだろう。このカンボジアを見て、志士の方達の気持ちが少し分かったように思った。

水牛を飼いならす少年は、相変わらず棒を片手に水牛を先導する。

日本人は特殊だ。相撲やお寺を、外国人に紹介したってとても日本人の気風は説明できない。あんな災害の中で、綺麗に列に並び水の順番を待つ日本人を、外国メディアは「信じられない」と報道していた。私には、列に並ばない外国人の方が、信じられない。

日本人は、負けない。

ただ、ただ、そう思った。
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by vulture0902 | 2011-04-07 00:14 | 独話

【星と馬車と10年後】

電灯が一つも無い道を行けば、ほんとに電灯が一つもなければ、星は降るように空にあるんだ。
多くの人は旅をしたり、お金を払ってミュージアムになんかに行くけど、実際はミュージアムの中に住んでいる人がいるのかもしいれない。毎日がミュージアムの中。今日は、目の前を行く馬車に無性に乗りたくなって、馬車の人に声をかけたけど、ブレーキがかけられないらしくて、止まってくれなかったなぁ。

カンボジアに一年半も住んでいるから価値観は反転し、もう就業率が低下しようと他人ごとみたいな感覚だ。私のこの国への滞在も、あと6ヶ月で終わりを迎える。ミュージアムにたいな生活もあと6ヶ月と言えるのかもしれない。

さて、今の気持ちは続行だ。この国で生きて行きたい気持ちが強い。流動的で予測不可能で、可能性に満ちている。そんな場所でもっと頑張りたい。そんな気持ちが日に日に増す。カンボジア語を扱える日本人は何人いるだろう。少しプログラムが分かりカンボジアに住んでいる人が何人いるのだろう。想像するだけで、ワクワクする感覚は抑えられない。10年後、路頭に迷ったっていいじゃない。だって、そこは異国でミュージアムの中だから。
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by vulture0902 | 2011-01-19 23:46 | 独話
さあ時代の流れは、どこに向かうのだろうか。各人が興味あることだろう。

戦後、物質主義に始まり、資本主義的な構造が反映していく。冷戦構造の敗退から今日、サブカルチャーや個人主義、能力主義に飽き始めた人々は、一生懸命に出口のポスト資本主義を模索する。次はなんのか。グローバルの言葉が持つ、世界感は本当に実現するのだろうか。一部の富む人の影で、圧倒的多数の人々が生活に苦労している。IT化の情報流通と共に、今、よーいドン!で新しい競争が始まった。そんな感慨を私は持っている。そんな感慨は私だけではないだろう。

今、日本でNGOやボランティアに携わる方が増えていると言う。なぜか。偏見と独断を書こうと思う。

昔はどうだったのだろう。今言われる日本の閉そく感は昔から存在したのだろうか。
そもそも戦国時代のほとんど村というコミュニティにいた時を考えれば、幸せだったのだろう。もちろん、いつ盗賊に襲われるか不安だろうし、平均寿命は高くないだろう。年貢だって大変だったと思う。でも、自分達の村(コミュニティ)はある。それは、自分達で管理可能だろうし、なにより個人の総意でなんとか運営されたことだろう。例えば村長は偉いとなるだろうし、農業のうまい人は尊重される。鍛冶屋だって大切だ。それは個人の誇りへと繋がることだったと想像される。具体的には「俺は鍛冶屋だ。俺が居なければ、くわはどうするんだい。」と思っていただろう。それが、日本人が持つ誇りだろうか。

現在はと考えてみる。時代が飛びすぎだけど、とにかく考えてみる。村と都市の違いは、「明るい性格のパン屋の佐藤さん」と「だたパン屋さん」の違いだと、どこかの記事で読んだことがある。都市では、隣の住人の職業も知らないことは珍しくない。多くの人は、ただの他人なのだ。工業化が造り出す、当たり前のような綺麗な町の人間模様は、こんな変化があったのではないか。

私達は内心で、ただの他人ではなく何者かを分かってほしいのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。すれ違う多くの人が他人だなんて、道で声をかけたいし、気軽にあいさつもしたい。そして一生懸命生活すれば、コミュニティに還元できるんだと実感したい。選挙に行った帰り道、日本国というコミニュティを実感できる方は何人いらっしゃるだろう。

さて、ではなぜNGOやボランティアなのだろう。そこには、実感という根源的な感情があるように思う。これほど、金にならない物は無い。実感だから主観的だ。資本主義的にお金に換言できない。ある人にとって意味あることが、他の人から見れば、なんでそんなことに時間を使うのかと疑問になるだろう。そんなあやふやで不確かなものを私達は信じれるだろうか。他人の評価を気にしないで生きられるだろうか。役に立ったと実感できたことが、嬉しくない人もいないだろう。それだけが報酬。言いかえれば、新しい形の給料。ボーナスでフラットテレビの大きい奴を買った時と、老人ホームで「ありがとう」と言われる違い。これは卑怯な例えだろうか。どちらを選択するか、それは個人の自由だ。すくなくとも、私は試してみる価値はあるのだろうと思っている。





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by vulture0902 | 2010-07-01 16:11 | 独話

【愚痴】

カンボジアの気候は熱帯モンスーン気候で、一年は雨季と乾季の時期に分かれる。雨季には、突然の雨が夕方になると降り始め、降る時間も予想できるほどだ。スコール。突発的雨量は大量で、外でシャワーをする人もいると聞く。日本を離れて一年で四季の感覚を今、私は捨てようとしているのかもしれない。

一年近くも後進国で生活すると後進国の人を信じられなくなる時が多いのは、僕だけなのだろうか。時間を守らない。まだいいほうだ。まだ来るんだから。物を取られる。自分の不注意だ。ぼられる。クメール語を修行しなさい。ぼられないように。でも、やる気がない。。これは、つらい。

例えば、高校を卒業したカンボジア人と、高校に行かないカンボジア人の給料はほぼ同じだ。学校に行かなくなる人が多い。出口の対応が無い。就職口が限られている。ちなみに大学は、村で300人の子供全体の内、1~2人。(勝手な調査)そして、日本では結構前からこの問題をある程度クリアできているのではないでしょうか。(これも勝手な意見)つまり、雇用が多様化しているから、頑張れる。(高度成長期ね、日本は違うステージにいるんだと思う)差がつくとは、ある側面とても重要な要素だ。頑張ったら、テレビ買えるかもしれない。今は、教育費を頑張って捻出しなくても、どの家庭でも工場に行ければTVが買えるような状況だ。別に苦学して高校に行かなくてもいい。だって生活を豊かにしたいのが根底にあるのだから。

そして、段々カンボジア人を信じなくなる。そんなカンボジア人と等身大で付き合うより、たぶん楽だから。授業、今日も遅刻してくるんだろうなぁって、考える方が容易い。自己防衛だ。この真面目な人も、やっぱり後進国の人なんだろうなぁって初めから思っているほうが良く話し合う時、傷つかない。でも、段々辛くなる。自分が狭くなる。萎縮する。萎える。小さくなる。

でも信じるとか期待するピグマリオン効果ってある。よく心理学の本に出ている難しい奴だ。でも例えば先生と生徒の関係で言うなら、生徒の行く末ではなく、先生自信への良い効果があるのではないだろうか。

この状況がなんですか。本当にそう思いますか。私も学生の時、ぜぇんぜぇん勉強しなかっから、気持ちはとってもわかるから。騙されたと思って。あなたには、できる。そう、できますよ。なぜって、すぐパソコンでクメール語打てるようになったじゃん。英語のスペルも打てるでしょ?たった2カ月で。英語を話せるようになる期間?僕まだ、1年だよ、クメール語の勉強。どうですか私の片言のクメール語?え?変?はっはっは。私がもしプノンペンで働くと、100$稼げるよ。パソコン修理できるからね。ふふん。いいでしょ。修理1回20$ぐらいもらえることもあるよ。あなたにも、できる。なぜって、感じるだけですよ。I'm just feeling.ですよ。あなたも月100$!いいでしょ。工場は70$~80$。修理は100$。ほら。なんかわくわくってしちゃうでしょ?希望って、クメール語でなんていいますか?


これだ。これって本当は自分に言っているんだ。
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by vulture0902 | 2010-06-08 01:49 | 独話
「アフリカは本当に貧しいのか」って本があるけど、「カンボジアは本当に地雷だらけか」って本を講談社ぐらいで、書かしてくれないかなぁと思う時がある。日本のメディアは、盛んにカンボジアには地雷がたくさんあって、人々は地雷に怯えながら暮らしてるなんて、イメージだけど、実際の生活で、地雷の危険は感じない。もちろん地雷はあるんだけど、カンボジア人が生活している場所では、まず地雷は無い。よく地雷のドクロマークのイメージで、「この先立ち入り禁止」なんて看板が多くありそうだけど、私は一度も見た事がなくてなんかイメージと違うなぁと思っている。

例えばエチオピアは飢餓に苦しむ人々がたくさんいると言っていた時があるけど、どのぐらい本当なんだろう。アフリカのある種族のお祭りに着る衣装を見たことがある。それは独創的で神秘的。アフリカのあの土地とあの気候(気候って文化にとってもても密接だとモンスーン気候を毎日感じていて思う)と、人々が持つ生命力から生まれる感じを感じるのは、僕だけではないと思うんすよね。それって多様性があって、資本主義的な目で見ちゃうとお金がないんだけど、とても魅力的だと考える人も多いんだろうと思います。

だから本当の事ってなんだろう。どのぐらい信じていいだろう。カンボジアでは、学校が少ないってイメージでしょ?でも、学校事体は、結構ある。どう捉えればばいいんだろう。

カンボジアの田舎では、田んぼでダンスパーティがあるんですよ。よく誘われるの。星が日本の何倍も綺麗で、そんな夜空の下に電球一つをみんなで囲んで、深夜まで踊る。楽しいんです。酔って疲れたら、ふらふらって家に帰って寝ちゃう。別にいいの、疲れたんだから当然寝るみたいな感じ。だから未だに消化できないでいます。だってカンボジアは貧乏って、頭があるでしょ?お金がないから、なんとかしなくちゃって?でも楽しそうなんの、みんな。分かんなくなる。援助ってなんでしょうね。慢心だったかなぁ。傲慢かなぁ。上から目線かなぁ、僕?

さて、消化するのは日本に帰ってからでのいいっかって、書いて終わろうとしたけど、消化するって理解するってことだし自分で納得するってニュアンスがある。そもそも「お利口さん」じゃない僕が理解できるわけないと、自分を戒め、あの光景を自分で大切にしまっておこうと、思った日曜日でした。

嗚呼、サザエさんの日だ。今、気が付いた。一年以上、サザエさんを見ていない。。そんな日本人は、まだ日本人?
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by vulture0902 | 2010-05-30 23:30 | 独話

【いい顔】

一緒に来ているボランティアの仲間と、首都で会った。
以前会った時とは、まるで変わっている方がいた。
表情が違う。短い間に人はこんなに変化するものなのだろうかと、大変驚いた。

曰く、
言語が大変で、カンボジア人に理解されなくて、
なかなか思い通りにいかなくて、
毎日が大変だ。なんて。。。

ただの愚痴にも聞こえるけど、いい表情でしゃべる、しゃべる。


毎日が大変だったり、困難だったりすると、
なんで表情が良くなったりするのだろう。
苦労は少ないほうが、そりゃいいでしょ。
変なの。

毎日が、自分の計画通りに行ったほうが、いいに決まっている。
でも、あの人の表情は変わったんだよなぁ。

「経験は人を強くするのよ。」とか、「人は成長するものなんだ」なんて形容は、
この場合間違っている。


がんばっとる、だ。

あいつはがんばっとる。

これが適切な形容だ。



           P.S 10日間に及ぶ下痢と腹痛からの解放。ウイルスに勝った!
               ふっふっふ。身も心もではなく、身も腹も元気でありやす。
               僕のお腹は、現在鍛練中。
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by vulture0902 | 2010-05-23 01:53 | 独話

【パンドラの箱】

日本の太陽とは違うから、もっと強い光だから、水面は宝石みたいに輝いて見える。
水面近くを飛ぶ鳥は、魚を探しているようで、宝石を探しているみたいだ。
ゴールドラッシュに行く人々みたいに。
神様が住む国。そんな表現をどこかの本で読んだけど、名言だ。

田舎に行った。週末は、田舎に行くようにしている。
今日は、生徒の家。

写真を見てもらえば分かるけど、木の下に人が集まってくる。
暑いからだ。木陰だからだ。単純明快でしょ!

今、カンボジアは乾季の終わりで、田んぼが干からびている。
農村の暮らしも忙しくなさそうだ。のんびりしている。

アイスクリーム屋が、「チリン、チリン」って音を鳴らしながら、
バイクで売りにくる。たまらなく、うまい。日本円で25円ぐらいかな。

夕方になると、田んぼの特設サーカー場で、子供達がサーカーをやる。
バレーかサッカー。この国の人は、バレーかサッカー。
あきずに、バレーかサッカー。

木の根の下で休んでいると、カンボジア人が、珍しそうに日本人の僕を見ている。あるおじさんは興奮しすぎたのか、フランス語で5分ぐらい話してった。

「フランス語は話せません。」って、何度も言ってるのに、
フランス語で、ひたすら話す。

みんな、めちゃめちゃ受けてたから、良しとしよう。

さて、明日は日曜日。
日曜日は酒を飲みに来い!と言われたから、行ってくる。
祭りなのか、ダンスもあるらしい。
午前中はWEBを校長先生と作るのに、午後は田舎でダンスと酒飲み。
変なの、変な組み合わせ、って。

農村と町。違う世界なんだ。
違うものが、動かしている。
イデオロギーが違うんだ。

この農村の5km離れた所には、工場が続々と建設されはじめ、経済特区をカンボジア政府は奨励している。首都プノンペンでの景気は順調らしい。

ベトナム国境付近のこの農村にも、
今、待ったなしの北側の雰囲気が忍び寄る。構図はシンプルだ。

見えないスイッチは、もう押されてしまった。
悲観してるんじゃないけど。
そうじゃないけど。。

大きな流れは、医療水準をあげ、インフラ整備につながる。
それを発展と呼ぶ。それを、目指しているんだ。間違えじゃない。
でも、「そうじゃないけど」って感情はなんなんだろう。


さあ、あきずにバレーかサッカー!
バレーかサッカー!
ずっと続いて欲しい、バレーかサッカー。



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by vulture0902 | 2010-05-09 01:17 | 独話

【あぜみち】

パソコンの生徒を探している。
いや、生徒はいるんだけど、本当にお金の無い人を探すのは、大変な事だ。状況を分析しようと思い、自転車やバイクで田舎に行く日々が続いている。

あぜ道を20kmも行った所にも、町はあってたくさんの人が住んでいる。農村部では、高校生の就学率がとても低い。日本で言うところの、県庁所在地と村落の差と言えばわかりやすいだろうか。格差がものすごい。自然に教育の差ともなる。私は県庁所在地に住んでいる。

そもそもパソコンの教育云々の問題ではない世界だ。学校に通えない人が、エクセルを習うだろうか。
農業は人手が必要だ。現地の先生陣と話すと、まずは学校管理のためのパソコンが2台か3台必要だという意見があった。同感だ。それから生徒達への教育のためのパソコンが最低20台程度必要。今は、学校にパソコンが一台もないところが、大半だ。

私の住んでいる州だけでも、高校生に基本的なパソコンの授業をしようと思うと800台ぐらいの台数が必要だ。現実的には、難しい。でもカンボジア人がパソコンを習いたい人は多い。それは、本当に救いだ。

日本であるビジネスマンが言っていた。
「君は、パソコンを学ぶ機会の話をするけど、
何人を就職させたかが、勝負なんだよ。教育は、二次的なものなんだよ。」

返す言葉も今もって、無い。
無い内は、自転車であぜ道をひたすら漕ぐしかないようだ。




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by vulture0902 | 2010-04-30 23:42 | 独話

【後90年が21世紀】

高い木の葉が舞って、地面まで落ちる。そんな中を歩くと、それだけで楽しくなってしまう。
日本には無い感じ。日本では味わえない感覚。そんなも中にいると、なんだか日本に帰りたくなくなってしまう。

国境沿いの学校で、パソコンを週末に教えている。3カ月間で、パソコン全般の知識を教える。ハードとは、何か。ソフトとは、何か。OSの種類は。ウィルスから、PCを守るには。来週は、3カ月間の授業の期間が終わるから、試験をつくっている。私がテストをつくる立場になるとは。。難しくしてやろ。ふっふっふ。

だけど、その学校の存続が、危うい。原因は、お金だ。とにかく、お金がない。その学校は、とてもいい学校だと、思う。先生に活気があり、生徒に活気がある。カンボジアや自分の生活、そして家族の生活を少しでも良くしようと、みんなが一生懸命に学校運営をしていることが、伝わってくる。でも生徒は、お金がない。だから、授業料が払えない。たぶん50%ぐらいしか、収入がないと言っていた。援助が無ければ、きっとつぶれるのは、時間の問題かもしれない。私は貧乏ですからお金は出せないけど、WEBをつくり現地での信頼向上や海外NGOなどへのアピール、少しでも現金収入を得れるようなことを教えたいと思う。それは、とても微力だ。本音を言えば、焼け石に水だよ状態だ。

この頃思うことは、人間に共通する部分として、その場所や組織に集まる人の気持ちが、色々なことを形造っている、と言うことだ。日本語で言えば、校長先生。私は、その校長先生を尊敬している。なんとか、就職率をあげようと。なんとか、よい教育をと。校長先生は、私利私欲ではなく行動する。その気持ちは、言葉が完全に分からない私にも、しっかりと伝わるのだ。これは重要なことで、外国人の私に伝わるのだから、カンボジア人に伝わらないわけは、ない。
だから、学校に活気がある。

校長先生には、家族がいる。
「私の給料は、60$です。家族を養えない。今、悩んでいる。」そんな事を言っていた。

世の中は綺麗事では、動かない。利で、動く。経済活動で、動く。そのトレードオフ(矛盾関係)を思う時、私達は世の中を理不尽に思ったり、南北問題の難しさを連想するのかもしれない。でも現に校長先生には家族があり、よい教育を受けようとするカンボジア人にも又、それぞれの事情がある。

だから、思うのだ。
気持ちを現実にしなくちゃ、意味がない時代なんだと。
コメンテーターが、21世紀の最大の難題は南北問題だ、なんて雄弁に話す時、私達の心のどこかで感じる寂しさは、現実の中でしか解消しえないと。まずは彼らそれぞれのストーリーと、私達の個人のストーリーが、重なり合う点を探せなくちゃ、いつまで経っても、コメンテーターは「21世紀の最大の問題は、南北問題です。」と言い続けるのだろう。たぶんコメンテーターは間違っていて、もう私達個々が持つ[気持ちの強さ]を試す時代になっているんだ、と私は思う。
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by vulture0902 | 2010-03-23 02:00 | 独話